断捨離は新しい画用紙を用意するようなもの

今や多くの人が口にする断捨離という言葉は、そもそも作家のやましたひでこさんが提唱したものです。それは、「不要な物を減らし、生活に調和をもたらそう」とするヨーガ思想から獲得した行いとされています。

高齢者にありがちな物を捨てられないという心理は、少なからず他の年齢層にもみられることです。特定の物に対して強い執着をもったり、使わない物を処分することができなかったり、全ての物をなんらかの意味で勿体ないと思ったりすることから、物がどんどん増え続けてしまうのです。

先日、ある友人が「そろそろ断捨離しなきゃ」と口にしました。聞いてみると、趣味で集めた楽器がそこそこの量になり、手入れはおろか置き場にも困るようになったというのです。

それぞれの楽器には忘れ得ぬ出会いがあり、強い思い入れもあります。しかし、手に取って演奏するにしても、全ての楽器というわけにもいかないほどの量です。「楽器収集もこのへんにして、できるだけ知り合いに譲って使ってもらおうと思っている」とのことでした。

 

「断」は入ってくるいらない物を断つ、「捨」は家のなかにずっとある不要な物を捨てる、「離」は物への執着から離れる、これが「断捨離」の意味するものだそうです。

これまで友人が楽器をコレクションしたのは、その都度出会うひとつひとつを、自分の物として置いておきたいという強い願望からです。物を所有したいという固定観念を解き放ち、より多くの知人友人のもとで楽器として使ってもらいたいという気持ちに転換してそれを行動に移すことは、まさに理想的な断捨離ではないかと思いました。

断捨離をしたくなる際の心理は、好きな物とそうでもない物、お気に入りの物とどうでもよい物、必要な物と特に必要ではない物が同居する「混在した物環境」から、今好きな物、今お気に入りの物、今必要な物だけを選別してそばに置きたいという「選別された物環境」に転換したいというものです。もうひとつは、いったん身の周りをすっきりさせた上で、新たにほしい物や必要な物のスペースを確保したいというものです。これは、実際の物環境が心の中の環境と同じ状態にあることを意味します。

しかし、実際に自分の所有する物を思い切ってどんどん捨てるという行為は、メンタル的には相応のエネルギーを要します。ある種の勢いがないと、決してはかどらないものです。「今、着ることのない服であふれたクローゼットをすっきりさせれば、明日はきっとハッピーな気分で過ごせるようになる」という信念を、自分なりに貫く必要があります。

物を捨てるという行為は、「片づけなきゃ」という思いが積もっている自分の内面そのものを、潔く断捨離していくことなのです。

 

断捨離を終えた人からは、「とりあえず買っとく」という行為がなくなり、本当に必要な物や気に入った物だけを選んで手に入れるようになったと、いう声が届きます。また断捨離をすることで、新しいことに興味がわいたとか、仕事にチャレンジする気持ちがでてきたという声も聞かれます。

 

仮に美術の授業で、「今の気持ちを絵に描きなさい」と新聞紙やチラシを渡されたなら、正直なところ困惑するでしょう。しかし、新しい画用紙に「好きな絵を描いてごらん」と言われると、「何を描こうかな」とワクワクします。

断捨離とは、未来を描ける新しい画用紙を、自らの力で用意することなのかもしれません。