なぜカウンセリングは無料ではだめなのか。

カウンセリングが無料でないのはなぜなのでしょうか。

もちろんカウンセラー側からすれば、仕事への対価として料金を受け取るのは当然のことです。しかしここでは、カウンセリングにお金を払うとはどういうことなのかを、治療的見地から説明します。

もしカウンセリングが無料だったとしたら、クライエントであるあなたはどう感じますか。気軽に話ができ、気楽に利用できる、その方がいいじゃないか、と思うかもしれません。しかし、治療としてのカウンセリングは無料では成り立ちません。それは、料金も治療構造というもののひとつだからです。

 

治療構造とは要するに、時間、場所、部屋の間取り、椅子の位置といったもののことです。この治療構造こそが、実は治療としてのカウンセリングを行う上で、とても大切な要素なのです。それは、カウンセリングが「心」という実にあいまいなものを対象としていることと深く関係します。

 

日本における治療としてのカウンセリングの多くは、週に1回もしくは2週間に1回、同じ場所・同じ時間に行われます。この同じ頻度・場所・時間という明確な構造、言い換えれば「枠」こそが、治療構造として必要不可欠です。これが担保されているからこそ、心というあいまいなものを治療の対象とすることができ、クライエントも安心してカウンセラーに心を開くことができるといわれています。

 

また、身体と心がつながりをもっているように、物理的な構造と心理的な構造とは深く関連し合っています。例えば、面談の回ごとに時間も場所もまちまちだとしたらどうでしょうか。どこか心が落ち着かなく、前回話した内容と今日話そうと思っていることとのつながりが途切れたような感じをもつかもしれません。その人の日常の中、同じ時間、同じ場所で話をするという、定まったリズムに満ちていることの安心感が大切なのです。

 

さらに、お金を払う・受け取るという関係は、例えばアパートを借りて家賃を払うのと同様、ひとつの「契約」です。利用する人が料金を支払い、カウンセラーがそれを受け取ることで、カウンセリングという契約が成立します。このことを治療契約といいます。この契約があることで、相談する側はつもる話をあれこれ聞いてもらいたいと真剣に考えますし、カウンセラーも相手に対する心を尽くした支援をしようと、真摯にその役割と向き合うことになります。

このように、カウンセリングが無料でないことには、実は治療的に大切な意味があります。今現在カウンセリングを受けている人は、自分が支払うお金の治療意的意味について、少し意識してみるとよいでしょう。そうすればまた違った視点から、自分の受診しているカウンセリングを見つめ直すことができるかもしれません。